「豪雨災害について ②」

平昌オリンピック

 

 昔の方々は、100年先・200年先の子々孫々のことを考えて、木を植え、山を育ててきたと聞きます。また、大きな木を伐採する時には、お酒やお塩を地面にまいたり、お浄めをしてから、木を伐採していたとも聞きます。

 お天道様に手を合わせたり、山や木・海や岩などを神様として祀ったり、そういった自然に対する畏敬の念が、今の時代に暮らす私たちの心には、昔の方々に比べると少なくなっていて、ウナギやマグロなどの魚介類も、絶滅寸前まで獲り尽したり、ただただ今すぐの、目先の儲けや食の欲求・便利さの追求にばかり目が向いているからこその、自然破壊→自然災害・・・となっているのかもしれません。

 ・・・つまり、何でもかんでも神様のせいにしたり、運命のせいにしていては、問題は解決されることはないのですから、もしかしたら自分たち人類のせいなのかも・・・と、「もしかしたら」を追求していくところに、問題解決の糸口は見出すことが出来るのだと思います。

 これは、個人個人の病気や痛みの問題、人生の問題についても同じことが言えるのだと思います。

 つまり、何でもかんでも運命のせいにしたり、神様や人のせいにしたり、年齢のせいにするのではなく、もしかしたら自分自身の中にも問題点はあるのかも・・・、改善する余地があるのかも・・・と考えていくところに、問題解決の糸口は存在するのだと思うのです。


 今回の災害に限らず、国の政治の問題や借金の問題、個人個人の病気の問題や人生の問題など、先延ばしにすればするほど、問題は大きく、厄介なものになっていくのだと思います。

 気付いた時からコツコツと。

 目先の欲求ばかりの、今が良ければそれで良い、自分が良ければそれで良い、臭いものにはふたをして、なったらなったで考える・・・といった考え方からの、方針転換をしていかなくてはならない時期に来ているとも言えるのではないでしょうか?

※私自身の自省の念も込めて、書かせていただきました。

2018年07月31日